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「学校教育に感じること」
河野 高信

 戦前の日本の教育は世界一といわれているが、それは、家庭で保護者が「先生を尊敬しなさい」というような躾をしていたことと、教師が教育に対する自覚、責任、使命感を持っていたことがうまくかみ合っていたからだ。

 しかし、戦後、家庭の中でこのような躾が必ずしも行われなくなっていったとともに、教師の教育に対する自覚も総じて低下していった。そのような中で、昭和50年代以降になると保護者が決定的に変わった。保護者自身が先のような躾を受けていないため子どもにもそのような躾をせず、その結果、子どもが教師を尊敬するはずがない状況になってしまった。それに加えて、教師も一部サラリーマン化してしまい、最近の日本の教育は世界最低といわれるまでになってしまった。ひとりひとりのやる気を引き出す。ひとりひとりに声をかける。ひとりひとりと気持ちの交流を培っていくということに、人が人を教える意義がある。だから、このようなことを自覚した教師であってほしい。

 これからは、共同社会で生きていくために必要な公衆道徳、日本人であることや日本の文化を学び誇りに思えるような教育、そして世界のさまざまな文化を理解する教育が必要なのではないだろうか。それは私見ではあるが、道徳の時間の復活が有効ではないかと思う。広島県の教育再生案は、開かれた学校作りと聞いている。地域の住民にどんどん学校に関心関わりを持ってほしいと、教育長も発言しておられる。大変いいことと思う。地域全体で将来の日本を託す子どもをしつけ、教育してゆかなければならない時代になってしまっていると思う。

 小中学校での道徳の時間には、残念ながら家庭に期待できない公衆道徳、自分の気持ちをコントロールする我慢の心、物事を多数決で決めたら決定に従わなければならないという議会制民主主義の基本を社会科の授業としてではなく考え方として身につける習慣等など、指導してほしいことは山ほどある。

 学校は聖域という概念は、そこに教育者と生徒に十分な素養と自覚がある間は問題がなかったが、現在は残念ながらそれを満たしていない。我々世間の経済人がそれを放置できないのは、そのような生徒を社員として受け入れ、世間の常識、仕事に対するやる気作り、会社・社会・お客様に対する感謝の気持ちを一から教えなければならない負担があるからである。我々企業人も、教育長の要請に応え、大いにそのことを自覚し責任を担わなければならないと思う。